IE9ピン留め

愛の旅人

愛の旅人
ロジャーフーズデン著 サマーヴィル大家幸子訳 

何年も前、この本が出た際にすごく読みたかったのになぜか機会を逃してしまった。
その後、何度か巡ってきたがまた読めなかった。
実は訳者の方と京都の市で出会い、少しお話して、名刺交換をしていたのだった。
その直後でさえまだ読んではおらず・・・。
今回やっとチャンスが到来、しかと読んでみた。
そしてなんで今なのかがわかった。
それまでルーミーが何かわからなかったからだ。
フラアンジェリコの受胎告知と言われてすぐに絵が頭に浮かばなかったからだ。
先日、トニーさんの幸せのタネ本で最後の方にルーミーのことが書いてあった。
ルーミーとはイスラムの神秘主義の創始者であり詩人である。
神秘主義にはいくつも教義があり神を愛する者達をスーフィーと言い、
スーフィーはぐるぐる回って踊るセマーという舞が有名だ。
フラアンジェリコの絵は自分がアクセサリーを作るのにおいて、この絵の色使にハッとさせられた経緯がある。
これらが頭に入ってなかった時代に読んだのと、入ってから読むのとでは
ちょっとした情報だが、全然自分の中で違っていた。
正しい時期に読めたんだと感じた。

後書きにもあるように、アルケミストに似た感じの本だ。
アルケミストはスペインからモロッコ経由でエジプトへ旅したのに対し
こちらはイタリアのフィレンツェからギリシア経由でトルコのコンヤへ旅をした。

ところどころに描写されている土地の建築物や絵画をネットで調べながら読みすすめていくと
さらに臨場感がUPしてとても面白かった。

読むのに時間がかかりそうでいてスラスラ読める、世界に引き込まれていく。
いろんな国に自分も旅しているような気分になれる。
フィレンツェから船に乗りギリシャへ、メテオラからデルフィ神殿で神託を受け、女人禁制の聖地アトスへ行き、また船に乗ってトルコへ入る。イスタンブールのスーク(市場)で様々な経験をし、コンヤへ。

著者は多文化、他宗教、他民族の共生を目指しているのだろうと思った。
日本のような島国では考えられないような様々な問題を古代から抱えている。
それらの問題を解決するエッセンス、それは愛でしかないのだ、と。
一見矛盾するようでも、よく聞きよく見てよく感じればそれが矛盾ではないことがわかる。
同じようなことを解いていることがわかってくる。

素晴らしい言葉が何気なくそこにある。
自分の中ではヨガにつながるアレコレがたくさん詰まっていた。

「呼吸と一緒に頭の意識をハートへおろすようにするんだ。
頭がハートにつながると今ここに在るという感覚が生まれる。
息が胸へ下りていく流れを意識すれば、今この瞬間に目覚めていられるようになる。
呼吸をしているのは自分ではなく、呼吸のほうが君に息をさせているんだと覚えておくといい。
そうすれば呼吸が存在していることに感謝の念がわくよ」

ボッティチェリのヴィーナスの絵が表紙になっている。
最後まで読めば、この絵の意味と題名「愛の旅人」の意味がわかるようになっている。
なかなかオツな仕掛け!

最近出会った中ではなかなかの一冊であった。

# by mandalabooks | 2012-01-31 01:27 | スピ系

死後を生きる

死後を生きる 
松村 潔著

松村潔は占星術だけではなかったのか!
先日、松村氏の数時間にも及ぶ占星術講座へ行ってきた。
まあ膨大な情報量で危うく頭がパンクしそうになった。
この人の頭脳はどないなってんねやろ、というのが感想のひとつでもあった。

占星術に惹かれ、少しずつ学び始め、文献を調べているうちに図書館でこちらを発見。
早速借りてみた。といってもこれは占星術の本ではない。
死後の世界について?の本である。
しかも、講座同様難解で、アイフォン片手にメモを取りつつ読み進めていった。
そのメモもまた字数が多くなること、多くなること!!

だいた本の最後を見たらオチが来てるんやけど、自分の中でどこがオチやったんかってのがわからないまま終わった。でも死後ってもしかしたらそんな感じなんかな?って読み終わってふっと思った。
終わったーと思ったら、あれまだ続いてんねやん!みたいな。

死後の世界の感覚に近い体験を得る方法ってのが、いろいろあってそれが瞑想であったり、この人が説明する幽体離脱やへミシンクであったりするわけだけども松村氏はそのヘミシンクにどっぷりではなく距離を取っていますよ、他にもいろんなものがあるけれど、道具としては取り入れてもそのグループに自分は属していないよ的なスタンスを本の中で表明している。
ヘミシンク以外にもいろいろな方法あるけど、どんなことをしてもいいけどミイラ取りがミイラにならないように、ロジックにひっかからずに自分を見失うなよ、的な忠告もあったり。

※ヘミシンク
幽体離脱よりライトな体験、ヴィジョンを見るらしい。
特定の周波数を組み合わせ人の意識をコントロール可能にする技術、とある。

そんな感じで死後の疑似体験って割と身近にあるよ、と著者が教えてくれる。

生きている間は肉体に重きを置いているが、肉体を脱ぎ去った後はエーテル体のような部分が活躍してくる。
夢見てる時のような感じで。夢を見てる時は肉体は休んでる。

道教には魂魄(こんぱく)という考え方があり、上(天)な部分が魂(精神を支える気)であり、下(地)な部分が魄(肉体を支える気)にあたるという。
魄は魂よりも振動数が遅いエーテル体で、魄の部分はキョンシーとかお化けとかそういう系。
肉体を脱ぎ去って魂が抜けた後にまだなお彷徨っている肉体重視の霊的な部分と解釈するといいかな。
これはアジア人にはとてもなじみやすい思想ではあるけれども、西洋人にはあまりピンとこないらしい。
日本人は魂魄の魄の部分が強め、西洋人は魂の部分が強めでそれは文化圏が違うから。
なるほど。
日本と西洋ってほんっとにひっくり返したように反対なので、そこはかなりわかる気がする。
最近のスピ傾向が行っちゃってて着地してない系なのは、西洋輸入品のスピでありその魂魄の魂部分だけを取り出して使っているからではないか、と。だからしっくりこない人もいるんだろう、と。
たぶんもっと地に足が着いたというか、魂魄の魄部分を見せてくれる神道とか心霊的なものであれば、すっと消化不良にならずに受け入れられるのではないか、と。
でもただ魂魄は違う原理で動いているのであり、どこの国の誰の中にもあってその比重は個人により違ってくるのかもしれない。

そこで著者はこの魂魄理論を進めておいて、ヘミシンクでは上の領域には行けても魄的領域を刺激しないのではないかと、それには何かということで水晶球透視がいいのではないかと気づいていく。

魂(たましい)というのは、個のみならずクラスター(集合体)のようなもので、生きていく上でこの繋がりを取り戻す事が大切なのだと言う。そのクラスターの次元上昇というかレベルアップ、全ての要員が浄土に行くことで地球に停泊しなくなるのだそうだ。

と、この本の趣旨がなんとなくわかったところで、この本の続編「エーテル体に目覚める本」を読んでみたいと思う。


第1章 死後の世界を信じる人は救われる?
第2章 死後の世界をのぞいてみよう
第3章 死後を生きるために

# by mandalabooks | 2012-01-28 15:29 | スピ系

幸せを栽培する方法

トニー流 幸せを栽培する方法
トニー・ラズロ 著

『ダーリンは外国人』の著者である小栗左多里さんのご主人トニーさんの本。
実はダーリンと・・・は読んだ事がないため、先入観なく読めたかも。

「これ、旦那さんが日本語で書いたのか?」と思うと言語に長けてる人はすごいな、と
ちょっとした感動である。
私英語で本を書くなど今のところ無理である。

内容はというと、オチから見ると題名がすごく合っている。
ほっこり♪

様々な国の諺をもとにそれについてエッセイが繰り広げられている。
世界中の名言がいっぱい載っていて勉強になる&ためになる。

いきなりページを開いたところで
「嫌いは禁止」の条例(笑)が発令され、よよっ!と自分でびくっとしてみた。
私も実は「嫌いは言わない、思わない」主義だったのである。
しかし、本当は嫌いなのにそれを自分の主義に反するからと「嫌わない努力」をしてみたのであるが、
7年、8年後、「やっぱりどうしても無理だった!」と悟った。気づいてしまうともうほんまあかんのであるが、
それよりも自分でそれを認めれた後の心の楽さといったら!
その後、毛嫌いが嘘のように楽になってきて、一石二鳥であった。
それ自体どうでもいいことになってきた。
抑圧はいかんね。

●耐えるのが必要でも「好き」と言って耐える必要はない(ブルトン語の諺)とのこと。

「それでも人を信じよう」というくだりがある。
ローマ帝国、シーザーとブルータスの裏切りの話が盛られている場面があり
避けようにも避けられないこともある、とトニーさんは言う。
人間は自由意志があるために、同じ志を持って活動や運動をしていたとしてもすれ違う場合がある。
腹を立てたりもするし、エスカレートしたら嫌がらせをしたろかなとも思ったりするかもしれない。
ただし、そこはセルフコントロールである。

海外にいた時、得意先で現地在住何十年の日本人の方が「人に気をつけないといけないのはどこでも同じだけど、残念ながら同じ言葉を話す日本人でも同じことなんだ。これまで同胞に何度も騙された。今回も騙されたけど、それでも信用しないと仕事が出来ないからね。」と海外生活の理不尽さの先にある希望を伝えてくれた。ちなみにその人はダライラマに非常に良く似た顔をしていた(笑)。

●正直に人に接したとき、騙されることがある。それでも人に正直に接しなさい(マザーテレサ)

その後の平和についての考え「平和は待つものじゃない」というのもうなずける。
自分自身がまず平和を心の中で作って、維持する努力が必要だ。
家族関係、夫婦関係、恋愛関係、友人関係、仕事の関係などなど、周りを見回してみれば
たまに諍いが起こる場合がある。それの延長で大きくなったものが戦争じゃないだろうか。
トニーさんは、「身近な人間関係を円満にすることから始まってもいいかもしれない」と言う。

最後の〆に来るルーミー(スーフィー派)の言葉も良い。
「来なさい、来なさい、誰であっても。」
自分と宗教が違っても、誰であってもご一緒にどうぞと寛容である。
寛容さはこうでないといけないと決め付けて狭めていく考えでなくその対極にある。
「ランチは11時半からです!」と11時25分ぐらいに来たお客さんをビシャリと締め切ったり
「6時閉店ですのでっ」と追い出したり、「賞味期限は本日12時きっかりです」とお弁当を捨てたり、
当たり前に感じていることを客観的に見てみると、割と何でも排除、排斥していることってある。
この辺て昔もっと緩くなかったっけな・・・と思うのだ。
昔が素晴らしいというのではないが。

そこから段々あれあかん、これあかん、になってきて
あいつあかん、あの団体あかん、あの環境あかん、あの●●あかん、となってくるわけで。
で、あの国あかんで戦争が起こるのかな・・・。
せやし、ちょっと「まあええやん。」の気持ちのゆとりって生きていくうえで要るよな~と思った。

と、トニーさんが書く諺と文章によっていろいろと自己を啓発することができたよ。

# by mandalabooks | 2012-01-17 10:47 | その他

Q健康って?

Q健康って? よしもとばなな著

ばなな氏と4人のセラピストとの対談がまとまった「Q健康って?」は、一人一章ずつまとめられてある。
Tao Zenの大内雅弘氏、ホメオパス勢籏(せはた)孝代氏、パナシア(?)の安田隆氏、ロルファー(ロルフィング)でばなな氏旦那様でもある田畑浩良氏の4人。
残り三分の一ページはるなさんという方のがん闘病日記「奇跡の中で生きている」が掲載されている。
(日記部分は実はまだ読んではいないのであるが・・・)

自分はヨガを教えているので、この4人の方々のお話を通して自分自身のヨガ的な側面からの物事の見方やあり方、共通点を見出したように思う。

対談なので特にオチはない。
健康についてのセラピストに話を聞いている的な内容。
知り合いのセラピストにどんなことやってんの?とか、健康についてどう思うとか?
あなたの健康法はどんなんなの?とか、気軽く聞いているような。
それをテレビでも見るかのように客観的に読んでいる。
そこから自分がいろいろと思うことが出てくる。
そんな本・・・かな?

では、いってみよう。

1:チネイザンの大内さん
TaoZenの方のチネイザン、聞いた事はあるがなんだか知らない。それをやっている人も全く知らない。
この本を通してなんとなく知ったぐらいである。
チネイザン自体は特に興味はないけれど、この代表の方がとても興味深くて面白い。
ヨガと瞑想をベースにした考え方に近くて共感が持てたような。
そして、やはりこの方も日本を特殊なところとして捉えて見ているのだな、と。
外に出れば見えてくる日本の特殊な部分が面白く興味深く感じるものだ。いい悪い関係なくね。

例えば、本にもあった「日本の野菜が甘系統で硬くない、アメリカのほうが苦かったり硬かったりする」というくだりがある。それが、心や精神にきっと影響しているんじゃないか?と。
私もそれはすごく感じていたから、激しく同意であった。
日本の洋菓子は世界のどこよりも素晴らしく繊細で芸術的でもう洋菓子道といっていいほどに極められているものになっていてそれはそれは凄いものであるし、日本のフルーツは世界中のフルーツとはわけが違っているようにも見える。糖度の高さと形の良さが重要であり果物道を極めた農家さんが作っている職人技で、それが高級な食べ物たる所以だ。だから量がちょっとしかなくっても質がいいので、割高である。
大枚をはたくようで痛いのだけれども、本当に美味しいから仕方が無いなとも思えてさえくる。
近頃の日本では、ふわふわトロトロ(もちろん甘くて)な食感が売れるキーワードである。
しかし、アメリカを始めとしたその他の国々では、イチゴが甘いという概念を覆され、味もワイルドでがっさり入っていて安い。日々生活の中で手軽に食べられるもの、という感じだ。足したり引いたりしていないそのままのありのままのフルーツそのものといった感じだ。ケーキに限っては申し訳ないけれど食べれたものじゃないようなのが多い。しかし、一切れデカイ!色凄い!みたいな。
これはまさにそれぞれの食べ物はそれぞれの精神面や国民性を反映しているのだなと痛感する。

大内氏曰く、日本人の呼吸と姿勢は下手なナンバーワンなんじゃないか、と。
ヨガやってなかったら私もそうだった。
教えてるからこそ人の呼吸と姿勢を正したいな、綺麗にしてあげたいな、と思うわけで。
それには自分もある程度ちゃんとしとかんとあかんわけで。
実は私は小さい頃からじいちゃんに「姿勢、姿勢」と言われて続けた割に、かなりの猫背だった。
成長し胸が大きくなり始めそれが恥ずかしく隠すようにして猫背にしていること、
背が低い割に座高が高いのが恥ずかしく、小さく見せようと猫背になっていたこと、
これらひっくるめて「恥」が猫背に通じていることを実感した。
自信があれば猫背にはなっている筈がない。精神と肉体はちゃんと通じているのだ。
猫背がかっこ悪い、体によくないとわかって以来、やっと気をつけるようになったというわけだ。

よしもと氏は日本人をこうも表現する
「メモを一生懸命取っているのに実はぜんぜんわかっていない。」
ものすごく日本人を言い表しているのではないか、と、これに妙に納得、ひとりで笑ってしまった。
これって一体何なんだろう、笑!?

2:ホメオパシー
ホメオパスさんについては、実は私もホメオパシーをあれこれやってきた一人なので
読んでいて新鮮な感じはまったくなく、当たり前の、日常の、そんな感じでするっと読んだ。
もし、あなたがホメオパシー初心者ならば、きっと面白く読んでもらえることだと思う。

3:かまやつっぽいセラピスト、安田さん
次に出てくるかまやつひろし的なルックスの安田さんも面白い。
読んでてどんな内容のセラピーなのかは読み終わってもよくわかっていないのであるが・・・。
この方曰く、人間の危機対抗システムていうのが体に三つあり、それが骨盤、横隔膜、顎なのだそう。
骨盤は意志の力では動かせずヨガをするしかない、横隔膜は呼吸で間接的に動かすしかない、
ただし顎の場合は口を開けるだけで簡単にできる。
しかも脳のリセット反応は欠伸(あくび)などで出るらしい。
なので、口を開けることを薦められている。
この3点を見た瞬間、う~んやっぱヨガやなー!やってること間違ってないわ~!と何故か自画自賛してしまった。

あと自分の中で「!」と思ったのは、「何かをやめてみる」ってところ。
ストップ・チェンジ・スタート。これはカルロスゴーンさんの日産改革法に同じなのだそう。
危機感を植え付けて実感させ、赤字を止め、新たにデザイナーを招いてデザイン部門をスタートさせたという。
ちょっとやめてみること、これって簡単なのだけれどもなかなか自分が許さなかったりして止めれなかったりするものだ。
変化は喜ばしいものである、それは進化だから。
なのに、変わることが怖くて止めることが出来ないままでいる、その方が楽だから。
変わり慣れていれば、変わる事が楽しいのだけれど、一般的にはそうではないと思う。
本当のことを言うと、私もアシュタンガヨガを一日でも止めてしまうことが怖かった。中毒だったのかもしれないけれど・・・。後から後から出来る人がどんどん出てくるし、アシュタンガの世界からこぼれ落ちていくのじゃないか、埋もれてしまうのではないか、アサナが出来なくなってしまうんじゃないか等々、日々競争意識で生きていた。こんな考えはヨガの考え方から相反していると自分で苦しみながらでもやめたくなかった。でも急にやめないといけない肉体的な理由によりやめざるを得ず泣く泣くやめた。でもやめてみたら思ったよりなんでもなかった・・・っていう。自分自身の作り出した幻影によって自分で自分の首を絞めてたみたいだ。やめたって死ぬわけではない。単に違う世界があっただけだった。ああ、しょうもない自分のこだわり!!

4:ロルフィング
これについてはよくは知らないけれど、読んでみてもあまりピンとこなかった。
ただ、ロルフィングのシステム化された段階の説明に対して、全部何でも体系付けらて分裂してんだなーと。
創始者信仰というか、創始者の死後にいろいろまとめられていった・・・的な。
このロルフ然り、アロマ然り、ヨガも然りで宗教も然り。何でもそうだ。旦那氏曰く空手もそうらしい。
この人のしか正しくないとか、いやそうじゃないとか、あーでもないこーでもない世界になるのだね。
そして資格がどうのになってきて、だんだんと最初に作った人の考えからかけ離れていくのだ。
資格持ってるからって凄い人とは限らない。
インドのヨガアシュラムで「専門家になるな!」と言われたことがある。
それによって優越感その他が生まれるからである。
そして、それを持った安心感であぐらをかくからである。
傲慢にもなりやすいし、受ける側もそれだけで安心してしまって考えず後々にもめる原因になるのだ。
たかが紙切れ一枚に何も意味はない。大事なのはその人となりであるのだと私は強く思っている。

健康も健康診断書一枚に左右されてはいけないと思う。
自分自身のバロメーターは自分が一番よく知っているはずだ。
誰にも惑わされることなく、誰にも依存することなく、自分自身が自分自身を取り戻した瞬間、その人は健康なのだと言えるのではないだろうか。

こんなオチでいいっすか?
(誰に聞いてんのか?)




# by mandalabooks | 2012-01-08 16:52 | 代替医療

どんぐり姉妹

どんぐり姉妹 よしもとばなな著

父母のいないどん子とぐり子の二人姉妹のあたたかいお話。
自分を見失わないようにと始めた「たわいないお話」をメールでやりとりするというボランティア。
それを通して見る姉妹それぞれ自身の様々な思いが交差していく。

表向き強く生きていかなければという動タイプの姉と
おっとりふんわり待つような静タイプの妹、
恋愛の仕方も違う正反対姉妹なのだけれども、似たような、そんな姉妹の物語に
心がほっこり。

「たわいない話は足りていますか?私達とやりとりをして気持ちを楽にしませんか?
時間がかかってもお返事します。」
とどんぐり姉妹は問いかける。

たわいない話がけっこう重要だったりする人間関係に焦点をあてているのかも、と思う。
この本もまたたわいないお話。だけれども、心にかすかに残るワールドがある。

ばなな本には色々な旅のシーンが盛り込まれているが、今回は韓国だった。
どんぐり姉の彼氏が韓国の人で、この二人が韓国に旅行するくだりがある。
本の中にたくさん挿入されているソウルのあちこちの写真達がどんぐり姉妹の現実感を醸す。

メールで顔を見ていない人とやりとりをしてたわいない会話をする。
これは実は私の生活の中にしっかりと織り込まれている。
たわいなくない場合も多々あって、しっかりと人生相談や精神的なお話をする時もある。
私も時間がかかってお返事する時がある。それはうわっつらい返事をしたくない時だ。
真剣にメールをくれている事に対して、すぐに軽く返せない時は自分も考えてからにしたい。
真摯にやりとりをしたいのは、顔を見ていないからだ。
自分にも重いストーリーがあるように、人々にもそれぞれ抱えたストーリーが千差万別にある。
顔が見えない、声が聞こえない場合には、実際に会って話を聞くよりも重みが感じれない。
だからこそ、しっかりと感じ取りたいと思う、文字では思いを伝える限界があるけれど、
ここをちゃんとしたいのだ。

人数が多くてたまにそれで返信し忘れもあるんだけれど、その場合は再度連絡下さい。
(すいません!!)

もとい、
私ってそしたらひとりどんぐり姉妹やん?、などと思いながらこの本を読んだ。

私がどんぐり姉妹だなと思う姉妹が二組いる。
そのうちの一組からこの本を頂き、読み終わってからもう一組に手渡した。
この二組のどんぐり姉妹は偶然にもこの間までは同じ区内に住んでいた。(今は違うけれど)
でも私しかその事実は知らなくて、二組は全く知らない同士だ。
いつか交差していくのかな、そしたら楽しいかな、なんてちょっと想像してしまうのであった。

どんぐり姉妹
http://www.honeyee.com/feature/2011/banana_yoshimoto/contents.html

# by mandalabooks | 2011-12-12 12:19 | その他

女湯のできごと

女湯のできごと
益田 ミリ (著)

益田ミリ氏の本は同郷だからか、かなり「それめっちゃわかる!」の宝庫である。
それゆえ、見つけ次第買ってしまうのであり、かなり大好きなのだ。
もう、読み終わったらいつもいつもメールか手紙を書きたい衝動にかられてしまう。
(迷惑なので思うだけにとどめているが)

昔、銭湯は身近だった。お風呂のない家が多かった。
だからといって貧乏とかそういうことではなく、そういう文化である。
私も小さい頃は銭湯に通っていた。

読めば読むほどに思い出されるマイ銭湯エピソード、かぶるかぶる。
ネタもかぶれば、湯もかぶる。
そうなんだよねーん。

大阪銭湯物語やわ。
下町~♪
懐かしい~♪

洗面器で息つぎの練習をする子供→おったおった!私もやった!
脱衣所のロッカーキーのゴムで髪の毛を結うおばちゃん→絶対何人かおった
銭湯のベビーベッドでの周囲の人のやりとり→あたたかかったよなあ
銭湯ののれんをリンボーダンスでくぐる→してた
頭乾かすやつ(ヘルメット型乾燥機)は3分、おばちゃんがそれまでに乾いたら「あんた乾かし」と譲ってくれるもったいない魂→言われた
木の下駄箱の鍵はゲタフダ→言うてた
石鹸箱にタオルをかぶせて角に口をつけて吹くとブクブクなる→子供の定番

風呂屋とは近所の憩いの場であり、コミュニケーションスペースだったと思い返す。
懐かしいなあ・・・。
学校の友達や近所の子と銭湯でも遊んだり、喋ったり、年上のお姉さんやおばちゃんと友達にもなれる。

今もスーパー銭湯でもそのような光景が繰り広げられているとは思うが、
スーパーがついちゃってローカルでない部分もあり、コミュニケーションまでは取らないのかもしれないね。
ただし、おばちゃんは喋りかけてくるね。
私は銭湯に通っていたおかげで、おばちゃんに喋りかけてもらった方が面白いし好きである。
少なくなったけどね。
でも、大阪銭湯物語にもっとも近しい光景を見たことがある。
どこでかっつーと、韓国の銭湯で、である。
なんと似ていることであろうか、おばちゃんもよく似ている、光景もよく似ているので感動してしまったぐらいだ。

お風呂屋さんていいもんやね~。




# by mandalabooks | 2011-10-20 17:27 | 日本文化

美しき武士と騎士の寝室

美しき武士と騎士の寝室
桐生 操 著

キオスクで何気なく買ったこの本。
てっきり、武士道精神的な内容なのかと思ったら大間違いだった。
帯とか裏表紙の解説とかってキオスクでじっくり見ないでしょうが。
でも見てたら、ためらって買わなかったかも。
なので、見ずにさくっと買って正解だったね。
精神論と思いきや、エロス文化比較論だったので、びっくり仰天したという訳。

人間って欲深い生き物ですなあ・・・。
エロスは突き詰めていったらグロくなるのかね(特に西洋の王室関係のくだり)?

江戸の遊女、西洋の娼婦
日本の衆道、西洋のホモセクシュアル
大奥と寵姫

と、三本立てでお送りされてまつ。

大奥とか江戸の遊女については、けっこうどんなだったのかな~って気にならない?
しきたりとかいろいろ知れて、面白かったなー。

同性愛については、今よりも武士の時代の方が受け入れられていたのね。
今の方が息苦しいのかも。

大奥のくだりは、ドラマ「大奥」で見たエピソードが盛りだくさん。

愛の無い政略結婚が多く、その分の埋め合わせを外で行わないといけなかった時代。
愛が無いのがオフィシャルだった場合、性的におかしな方向へと進むのやな、と読んで感心。

やっぱ愛と精神性が伴わないとねー、という読み終わりの感想。

# by mandalabooks | 2011-10-20 15:48 | その他

白湯毒だし健康法

白湯毒出し健康法
蓮村 誠

『毒を出す生活、ためる生活』でおなじみの蓮村氏の著書。
随分前に読んだのであるが、レビュー書いてなかったなと思い出して。
本の断捨離前に、と。

私はこの方の著書のイラストがかなりツボなのであるが、今回もまたツボ。
それは本文には関係ないのであるが、どうもこの絵が気になって読んでみたくなる。
誘ってくれるね~。

またまたアーユルヴェーダ観点からのご本でありまする。

いきなりね、もうオチから入るので、後は白湯をどのように作るかとか、どのように飲むかとか、
白湯を飲んだらどういい事が待っているのだとか、体質別の飲み方だとか。
プラス、白湯飲んだ方々の体験談とQ&A、アーユルヴェーダの体質チェックとなっている。

もう白湯を飲むといいことだらけよ!みたいな感じで
「他人がうらやましくなるなる」「飲み続けるとモテる、若返る」「人生が変わる」などと断言していて面白い。
言っちゃって大丈夫かいな?
いいの、それは著者様はお医者様だから。
凡人が同じ事を本やらで言っちゃうと薬事に触れちゃうのであきませんのよ。

もとい、私ももうず~っと何年も朝は白湯と決めている。
途中でお茶やら何やら飲むけれど、ワリと日中も白湯を飲んでいる。
習慣になってしまっているので、その効果ももうわけわからんのであるが、
インドのヨガの文献に「白湯はヨギにとって最高で一番贅沢な飲み物である」とどこやらに書いていた。
(もう何だったかも忘れたけど)
白湯のデトックス効果&謙虚に生きられるっていうダブルの意味でも素晴らしいのだよ、という話。
それからは白湯なんである。
ヨギとしての生き方を忘れないためにも毎朝の白湯は続けている次第である。

冬の朝、何も胃に入っていない時に飲む白湯ったら本当に贅沢ね。
ゆっくりと内側に染み渡る温かい感じがたまらない。

白湯初心者の皆様におススメの一冊です。




# by mandalabooks | 2011-10-19 16:24 | 代替医療

人生の旅をゆく

人生の旅をゆく
よしもと ばなな (著)

さらっと読めるエッセイ。
「居酒屋持込み」についてのくだりでは酷評満載で、賛否両論があるが、そこに引っかからなければ、気にしなければ、全然OKでしょう。

書いてある文字、言葉だけにとらわれて、その奥にある本当に著者がいいたい部分を見つけられない場合によってはかなり誤解される可能性があるかもしれないが、彼女も人間であり完璧ではないのだから、いいではないか。
文字の後ろ側にある本当に言いたいことを読みながら感じ取れてさえいればよい。

私は読んでいてあたたかい気持ちにすらなり、犬のくだりではホロッときて、なんかいいな、と思った一冊であった。
すうっと入ってくるのは、著者が正直に語っているからかもしれない。
こういう風に自分をOPENにして不特定多数に自分自身のことをさらけ出せる強さはすごいな、と思う。私はもう警戒してしまって、、そんな風には戻れないかもしれないから、これを読んで少し勇気をもらった気がした。

題名の通り、さまざまな旅について語っている。
イタリア、台北、オーストラリア、南米、奄美大島、沖縄・・・などなど。
旅行記って面白いよね。
自分も一緒に旅行している気分にもなったみたりする。

植物や動物に話しかけてたら、けっこう意思の疎通が出来てるとか、
石と話ができる友達とか、不思議ちゃん満載なのに、全然違和感ないのよね。
人の大らかさとか融通のきく下町的な部分てうのに親近感が沸いたのかな。

さらっと読んだだけなので、またじっくり見てみたいと思う。

# by mandalabooks | 2011-08-30 23:11 | その他

いま、生きる力

いま、生きる力
岡本 敏子 (著)

岡本太郎のパートナーであった敏子のエッセイ。
一本気で真摯な人だな、という印象。
体当たりで太郎にぶつかって100%自分を出して、100%太郎を受け入れた感じがすっごく伝わってくる。
それはものすごく心身ともに疲労困憊することだったと思うが、
それによって養われた叡智や強さがあるのだろうか、
「痛み無くして得るものなし」を地で行く恋愛と人生を送った人なんだろう。
私も大いに共感した。
文字を追っているだけなのに、応援されている気がした。
ぶつかることを怖れない人生!

彼女は好きだということに正直だ。
だいたい長年連れ添っていれば、相手の悪口しか言わない人のほうが多い。
謙遜なのだろうが、なんだか変だ。
でも、そうしなければバランスが取れないなんて。
敏子は、「好きで好きでしょうがないから、なんでもしてあげたい。それだけのこと。」と
すぱんと言ってしまう。それが、正直で、傑作だ。
彼女はまた嫉妬心があまりなかったのだという。それはお得である。

恋愛は火だ。
その燃え方は人それぞれであるが、彼らアーティストの火はお互いを燃やし尽くし溶解してしまうほど高温であり、火本来の持つ本質むき出しの荒々しい炎のようだ。
火と火が交わり大きくなっていく炎、メラメラと空高く舞い上がっていく火の粉を抱えながら。

ほとんどは火傷したくないから、そんな炎は求めないだろう。
ほんのちょっと温まるぐらいの火の代替を求めている、それではすばやく冷めるのもうなずける気がする。

恋愛だけでない、人生においても人は火なのだ。
熱くなれる何かを求めているし、そうしたいのに、火傷するのは怖いのだ。

いま、生きる力になるもの、それは熱くなれる何かだろう。
真剣に今を生きることができれば、何も怖れることはないのだから。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「いまはこの瞬間だけなのよ。先のことを心配したって仕様がない。終わってしまったことはもう無いのだ。・・・中略・・・いまに全存在をぶちこんでひらききって生きなければ。」

「認められなくていい、認めさせない、と決意してやれば何もこわいものはない。(太郎)」

「この青い空の下、地球のどこかではロケット弾が飛びかったり、瓦礫の山を素手で掘り返して、肉親の遺体を捜している人がいる。海もどんどん汚染されてゆくし、ジャングルも切り倒されて、絶滅していく種も多い。暢気な地球ではない。その痛みをかかえながら、でも空は青い。」

「人間であるっていうことはその痛みを感じることだ。そういう悩み、痛みを心の底に抱いて、その上で笑うんだ。(太郎)」

「眼は宇宙と通じるんだ(太郎)」

「調和も、みんな相手の様子を見て、互いに六分ぐらいのところで頭を下げあって、なれあうのが調和だと思っている。そんな調和は卑しい。フェアーに己を主張し、ぱんぱんとぶつかりあって、徹底的に闘って、その結果、お互いを認めあったところに成り立つ均衝なら許せるけれど、いま普通に考えられている調和なんて、ぼくは大反対だ。(太郎)」

「彼はいつでもマイナスにかけることを信条にしていた。絶対に危険だ。こっちに行ったら不利だ、と思う方を選ぶのだ、だから怖いものはない、と。」

# by mandalabooks | 2011-04-17 11:56 | その他

< 前のページ 次のページ >