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by mandalabooks

韓のくに紀行

a0057609_18551826.jpg街道をゆく (2)
司馬 遼太郎 (著)

ずっと挑戦したかった司馬文庫。ついに!!
司馬氏、布施(東大阪市)の人だと書いてあり、かなり親近感が沸く。
出版されたのは、78年。これを書かれたのは、71年だそうで、もうかれこれ38年も前のこと。私はまだ生まれていない。
その頃の韓国、今の韓国。だいぶ違うかったんじゃなかろうか。
SMAPや小栗くんが韓国で人気だとか、ありえなかった時代だ。
今の韓国の大統領が、生野(大阪市)出身だったり、ロッテも韓国で大企業である。


さて、司馬氏、日韓同祖論をちらリズム。
私もそう思うのである。
たぶん、これきっかけの旅なのではないだろうか?
両方の言語も、ウラル・アルタイ語から派生している。

釜山、金海(釜山空港のある周辺)、慶州(新羅)、テグ、扶余(百済)をまわる。
最後に近江(滋賀)は鬼室(きしつ)神社に飛び、韓国と日本の関係が深いことを思わせてくれる。
滋賀には、朝鮮人街道という名の街道が残っているし、百済寺という名の寺もあるし、
韓国にある仏像と同じようなものが滋賀にだけあったりもする。
蒲生(がもう)という街は、百済の人々が開いたのだそうだ。

韓国には、高句麗、新羅、百済の三国があったが、もうひとつの文化「伽耶国/かやこく(任那/みまな)」と呼ばれる小さな国があった。慶尚南道、釜山から金海あたりの伽耶山の付近である。
この国だけが、他の韓人とは違う風俗を持っていて、それは倭に似ていたという。

日本は、倭(わ)である。
日本人は、倭人なのである。
たまに、倭奴(ウェノム)である。
司馬氏の言うところの「倭」、納得である。

秀吉の時代、朝鮮出兵(壬辰の倭乱)の時に、日本の武将が兵三千人を率いて朝鮮側に戦わずして降伏し、帰化したという。今では、沙也可(さやか)将軍の地として観光マップにも載っているが、司馬氏の時代には、「なんやそれ?そんなん調べてけったいなオッサン」みたいな感じだったそうである。
この将軍は、戦いばかりの国に嫌気が差し、儒教の国へ「暮夏思想」を抱いて、日本から出たようだ。狭い日本に嫌気が差して海外へ行く、この気持ちは私にもよくわかる・・・。
司馬氏は、沙也可の末裔が住む村へと向かう。
なんでも、ここへ行こうと思い立ったわけは、司馬氏が兵役の時に仲良しだった軍医が「誰にも言っていないけれど、俺は朝鮮出身だ。しかし、秀吉時代の日本人だ。」と言って亡くなったことかららしい。この言葉して、旅は始まったのであった。

日本とはまた違った儒教的な文化背景、歴史観を含め、学校では教えてくれなかった「韓国」と「日本(と日本の成り立ち)」を知れる。

すごい本だ!
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by mandalabooks | 2009-06-14 19:51 |